2012/06/22

さよなら、またね。おかえり、ただいま。(後半)

さて、今日は昨日のエントリの続きです。

去っていく相手に対して「さよなら」も「またね」も言えない(言わない)、というところまでが昨日の内容ですね。今日は後半ということで、別れたあと、相手が戻ってきたときにどのような態度をとるかについて書こうと思います。

つーてもまあ結論は「何も言わず、以前と変わらず接する」ってだけなんですが。

別れの際に「さよなら」や「またね」といったセリフを言わないというのは、要するに別れをそれと認めようとしない態度です。別れてもいない相手に「おかえり」なんて言うのはおかしい。これは単純ですが、理由のひとつと言ってもいいかもしれません。ただ、これだけで終わりかというとそうではなくてですね。

例えば、俺が自分勝手な理由で誰かのもとを去ったとする。あ、ちなみに「自分勝手な」と一応つけてますが、俺はどんな理由であろうと、自ら去ることを決断したのであれば、それは全て「自分勝手な」理由にあたると考えています。だから俺の思考においてはこのパターンのみを考えればいいことになります。拉致された、とかはここで考えている「別れ」に含まれていないので。

この状況で、俺がかつていた場所に戻りたいと思ったとします。まずは、どんな状態なら戻りやすいか、ということを考えてみましょう。その場所が、俺がいなかった間に様変わりしていたらどうだろうか。田舎に帰ってみたら再開発されて知らない街になっていたら?かつての友人はそれぞれ家庭をつくり、いいおっさんになって、妙に落ち着いていたら?好きだったあのひとが、そもそもそこにいなかったら?

…嫌だ。それは俺が戻りたいと思った「かつていた場所」ではない。

場所、というものはそこにいるひとや雰囲気、風景で構成された記憶だと思う。時とともにある程度移り変わるのは仕方がないけど、そこに確かな連続性が感じられなければ、同じ感情を持って眺めることができなければ、それは違う場所だ。俺はそう思います。

だから、待つと決めたのであれば、相手が記憶した形を、可能な限り保存するよう努力したいと思う。最近で言うと、咲の玄ちゃんが掃除して待っていたように。「わたしは掃除当番だから」といった連続した理由によって。何気ない風を吹かしながら、当たり前のような顔をして。

相手が戻ってくるときに、そこに入るのが自然すぎて、「ただいま」すら言わなくて済むように。そんな風に俺は待っていたいし、そんな風に俺は待っていて欲しい。

「ただいま」なんて絶対に言わせない。「おかえり」なんて絶対に言ってやるもんか。そんな決意をこっそり秘めつつ、ぼけーっと待つことにしますかね。