2012/06/23

『妖狐×僕SS』 7巻 感想

いぬぼく7巻読んだので今日はその感想でも。以下ネタバレ有りなのでご注意ください。

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今回は何と言っても、30話「ただ、それだけの」が圧倒的に素晴らしかったですね。前半は、俺の解釈で30話のあらすじをまとめて、後半は自分語り的なものです。

今の双熾は、前の双熾よりも厳重に閉じ込められて育った。彼は「外に出たい」とすら思うことがなかった。諦めていたのか、それとも思いつきもしなかったのか。

彼を外に出したのは前のりりちよさまの意思だった。前のりりちよさまが菖蒲に頼んでいたおかげで、双熾は蔵の外に出ることができた。だけど、外にでたところで彼は簡単に変わりはしない。やはり何も欲することはなく、ただ生きているだけ。外に出たい、とすら思わない人間が外に出たところで、自らの世界を自らの手で拡げることなどあり得ない。

ただ、たった一つだけ、違っていた。たった一つだけ、望むものができた。それは、りりちよさまにお礼を言うこと。閉じ込められていた前世の記憶が、過去のりりちよさまの意思を触媒として、反応した。こんな何でもないことでも、自ら欲するということそれ自体が、彼にとっての「革命だった」。

そして、その願いを叶えるため、今のりりちよさまと「再会」する。彼女にSSとして仕えるうちに、彼は今まで知らなかった気持ちを次々と経験していく。プラスの感情だけでなく、マイナスの感情も。ただ、それらに共通しているのは、どれも全てりりちよさまによってもたらされたものだということ。

彼は初めて他人をまっすぐに眺めた。眩しいような、切ないような感情と共に。

彼は、初めて、恋をした。

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この辺りの描写はほんと見事です。双熾がりりちよさまを眺めるまなざし。りりちよさまに出会って変わる世界の色。ずっと彼女を見ている。ずっと彼女を目で追っている。未だかつて抱いたことのない感情とともに。

好きになる、ということ自体が素晴らしい。報われるか否かってのは、二次的でしかない。その人だけが全てで、その人からもたらされるものは、喜びであろうが、淋しさであろうが、とっても眩しくて、なんだか嬉しくて、でも切ない。

本気で好きになれるひとに出会えるということ自体が、奇蹟的なことなんだよね。

それを手にすることができた双熾が、俺にはとっても妬ましくて、だからとても読むのはつらかった。眩しそうにりりちよさまを眺める双熾が眩しくて、正視するのがきつかった。俺も、恋をしたいよ。

恋をするなんて、誰にでもできる?自分の感情は自分でコントロールできるのだから?それは違うよ。そんなもんは、「彼女を作る」っていうフレーズに含まれているような欺瞞にすぎない。純愛厨だと言われるかもしれないが、俺は信じている。

恋は、するものではなく、恋に落ちるのだ、と。

好きになるのではなく、好きになってしまったことに後で気づくものなんだ、と。

俺は、今に至るまで「恋」というものを経験したことがない。誰かを本気で好きになったことはないし、誰かを本気で嫌いになったこともない。自ら欲することが極めて少ない人間だ、というのもあるかもしれない。受動素子として生きてきた。それが誤作動を起こすことに憧れを抱きながら。この30話で描かれたものは、俺がまさに欲していたものです。ずっと憧れていたもの。気がついたら好きになっていた。気がついたら彼女が自分の全てだった。そんな恋をしたいんだよなあ。いい年こいて何言ってんだっつー話だとは理性ではわかっているのだけれど。これはもう一生消えないと思う。どうしようもない。惚れて、それだけで自分が勝手に駆動されて、わけわかんなくなってみたい。まあそういう欲望です。

双熾は、幸せ者ですよ。好きな人が、この世界に生きているのだから。その世界は、たぶん俺の世界より、ずっとずっと美しい。