2012/08/22

「何者かになりたい」?

「何者かになりたい」って感覚、やっぱりピンと来ないので書きながら考えてみる。

まず「何者か」ってのはなんなんだろう。モデルが存在するのかどうか。実際に会ったことがあるひととか、見聞きして知っている(つもりになっている)ひととか。存在するのであればそのひとに憧れという感情を抱いているはずですよね。で、ああ、あんなふうになりたいなあって思う、と。

これなら理解できる。ただ、自分がその思考をトレースして「何者かになりたい」って思うかというと、ちょっと無理かなー。この場合は要するに「憧れ」という感情を抱くかどうかっていう話だと思うんだけど、俺「憧れた」経験ってないんですよね。

何でかなーと考えたとき、たとえば「あのひとあんなにすごいけど所詮うんこもするし云々」って考えて「憧れ」に至らないってパターンが思いついたけど、これは違う。茶化すための手法として思いつくことはあっても。この考え方では結局他人と自分を同程度のものとして考えることで「憧れ」という矢印を否定しているんだけど、そうではない。

どうやら、0の大きさを持つ矢印ではなくて、そもそも結ぶことができてないんだと思う。他人と自分を繋ぐことができていない。自分を原点にとったとして、同じ座標に他人が存在していない。というわけでこのパターンは無理。

で、次に「何者か」が存在しないパターン。この場合は「何者か」がいないわけだから、基本的には(例外は後述)「何者かになりたい」というのは正確な表現ではなくて、「何者かになって〇〇したい/されたい」ということですよね。そうで無ければ何でもいいわけで、常に達成されており願望として成立しない。

ここで願望の本質となっているのは後半の「〇〇したい/されたい」という部分。これを単体で見れば俺にもあります。すぐ思いつくのは幼なじみと商店街デートしたいとか妹にわがままいわれたいとか。

でも、「何者かになることで」それを達成したいか、と言われるとピンとこない。この願望は「俺」が達成したい欲望であって他の「何者か」――それは俺と接続しない――の欲望ではないから。ひな鳥ではあるけれども、そういうもんでしょう。

例えば俺が俺ではない「何者か」に変身する能力があったとして、それで願望を叶えたところで全く嬉しくはない。学校一のモテ男くんになって、俺の好きな子とセックスができたとしましょう。嬉しいわけがない。ただの寝取られじゃねえかそれ!

つーわけで「何者かになって〇〇したい/されたい」ってのもピンとこない。あと思いつくのは、これがさっき()書きした例外ってやつですけど、単に自分が嫌いであって、自分以外なら何でもいいので「何者か」になりたい、というケース。

これはわかりやすい。ただ今となっては、もうこういう気持ちは抱けなくなってしまったと思う。この手の感情は、ほとんど理不尽な願いだから、執着しつづけるのはとても難しい。俺はもう自分が好きでも嫌いでもない。正確に表現するのであれば「こんなもんだ」と把握してしまっている。

あーそうか。何てことはないですね。単に年をとったということか。