2012/09/20

二次元と三次元は比較不可能なもので「なければならない」

増田のこれ↓読んで思ったことなど。

二次元 vs 三次元 を煽ったって誰も得しない。
http://anond.hatelabo.jp/20120918214821

ここで「二次元を引き合いに出して三次元を叩く」のはダメで、「三次元に疲れたときの一時的な逃避先として二次元を求める」のはOKだと言ってるんだけど、俺これどっちも大差ないと思うんですよ。というかそう信じようとしてるのか。

この主張の前提は、三次元>二次元というものだけど、二次元と三次元が比較不可能なものだという前提に立てば、どちらも二次元を自分の都合のいいように利用しているという点で同じなんだよね。目くそ鼻くそでしょ。

こっから本題。俺は二次元と三次元は比較不可能であるという前提に立っています。これはどうして?っていうことについて。

問いを狭めていきましょうか。まず、「前提」って言いましたが、実際のところ俺も気づいたら耳を塞ぐために物語を消費してるときがあります。で、それに気づくたびにこういうのやめたいなぁって思うってのを繰り返している。

耳を塞ぐために物語を利用するとき、そこには現実からの逃避という意思が存在します。ここで二次元と三次元は逃避という意思によって接続されている。接続されているということは、何らかの物差しで比較可能になっていることを意味します。それが俺は怖いんじゃないかと。

なんでかっていうと、困ったことに、現実ってのは圧倒的に強いんですよね。盆休みに堤防に寝っ転がって海を眺めてたときとか、「あー」ってなっちゃいましたもん。要するに俺は、虚構と現実を同じ物差しで比較したとき、虚構が勝利するシーンを確信できていないんだと思う。セツミ先生と同じ状況になるのは怖い。虚構をそれと戦わせて、敗れるところを見たらおしまいだから。言ってしまえば、それじゃ俺が寂しすぎるじゃないですか。

だから、二次元と三次元は比較不可能なもので「なければならない」。虚構が勝利すると確信できない人間の、逃げ道のような信仰でしかないのかもしれませんが。